スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
毎日書道展だより_3
- 2007/07/19(Thu) -
国立新美術館「生誕100年いまに生きる金子鷗亭の書」に行って来ました。
生誕100年記念広告

私が高校生のころから、「近代詩文書=金子鷗亭」というイメージがありましたから、有名な作品は勿論、教科書やいろいろな本で目にすることはありましたが、初期の頃の作品や古典の臨書作品、草稿などは初めて目にするものでとても新鮮でした。
幅広い展開の書作品の凄さに圧倒されます。
そして、流石!近代詩文書を確立させた書人金子鷗亭!と思う、過去に発表してきた珠玉の言葉が会場の作品とともに目に焼きつくものでした。
心に響いた言葉はここに書ききれないほどありましたが、そのいくつかを抜粋しておきます。

書の律動性
 書と最も近い芸術はおどりである。
中でも能の仕舞は最も多くの共通点がある。すなわち、リズムに乗って美しくおもしろい線や形を描いていく。そして一度描いた線・形はもうやり直しがきかない。人間の心の動きを瞬間ごとに作品に定着させてゆくおもしろさは、書の大きな魅力である。
(昭和30年「現代日本の書・墨の芸術展」講演)
近代詩文書考
書に文字性・・・文字は一字を書いても文学的雰囲気をかもし、ニ、三字羅列すれば完全に文学性を生じる。従って書に文学性を必要とするということは、結局文学性の附帯を認めることとなる・・・を必要とすると説く人は勇ましく現代の「はなしことば」を、漢字と仮名交じりで書いてほしい。それではじめて書に於ける文学性の議論が生きて来る。
(昭和31年「随鷗社報」18号)
書壇の新しい方向
古典を深く学び、それによって自己の表現の個性ある作品を尊重すべきである。幅をひろげ、書の格調を学び、技法の深い研究に進み、個性ある作風の樹立へ向かうべきである。
(昭和35年「随鷗社報」26号)
古典は前衛
古典の中に残っているところの最大公約数を自分の肥料にする、太陽にする、水にする。自分の栄養としてとり、あとは捨ててしまうのです。古典と仰がれるものは、すべてその時代の前衛であることを忘れてはなりません。
(昭和45年「守拙」15号)


この記事のURL | 書・絵画・写真鑑賞 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<夏休み一日合宿! | メイン | 毎日書道展だより_2>>
コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yumemizuki.blog39.fc2.com/tb.php/293-fb78ed65
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。